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3-3 望(ノゾム)


3-3 望(ノゾム)

 それはLV3が始まった初期のことだった。

 中目から、みゆきが自殺しようとしていると連絡を受けて、すぐにそ
の場に運んでもらった。
 みゆきはNBR施設内の検査室のベッドに拘束されていた。体中にすり
傷やひっかき傷があった。妊娠7ヶ月になるその腹部は、大きく膨らん
でいた。
 両手両足の自由を奪われ、吸入マスクをつけられたみゆきは眠ってい
た。
 おれは、ベッドの脇にいた中目と二緒さんに尋ねた。
「何があったんですか?」
「いろいろあって、取り乱したの」
 二緒さんが答えてくれた。
「いろいろって・・・?まさかもうLV3の説明を?」
「もう必要無くなっちゃったみたいね、それは」
「どういうことです?」
「こういうことだ」
 中目がみゆきの腹の膨らみに手をかざすと、幼い子供の声が頭に響い
てきた。
「初めまして、白木隆。あなたと知り合えたことを光栄に思う」
 おれは何歩か後ずさろうとして背後の検査機器に背中を打ちつけた。
「まさか・・・。宿れたのか?」
「そうなる。LV3開始後での融合成功第一例となるだろう」
「喜ぶべき、なのか・・・?」
「親子ともども死ぬという結末よりはマシだったのではないか?」
 中目の淡々とした口調で落ち着きをいくらか取り戻せた。
「このまま、自然出産を待つのか?」
「南みゆき本人はそう願っていた。が、我らとの融合と接触でパニック
を起こした。無理も無いが、融合した者がせっかち過ぎたな」
「両種族の間で待ち望まれた成功例だ。その母体の持ち主にまず報告し
なくてどうする?」
「それは我らの都合であって人類の都合でないし、人類の胎児は言葉を
解さないし、母体にショックを与えすぎたら元も子も無いだろうに」
「説明も受けていなかったようだが?」
「すまない。それはこちらの都合だ」
 中目がちらりとおれを見たが、それ以上は追及してこなかった。
「「彼ら」だと大雑把な括りすぎて呼びにくいな。あんたのこと、なん
て呼んだらいいんだ?」
「移住前の名前はもうふさわしくないだろう。かといって識別子そのも
のは人類に発声したり表記できるものでもない。この母体がそれらしい
ものを用意していたらしいが・・・」
「その名で呼びかけられていたのか?」
「そうだ。ノゾム、と」
「一文字で望かな」
「おそらく」
「しかしなんだっていきなりそんな流暢な日本語を操れるんだ?」
「日本語で会話しているわけではない。意識の直結、人間のいうところ
のテレパシーだ。まだ出力が弱すぎて母体以外に伝えるには種族の誰か
の助けがいるが」
「さいですか。でも、みゆきが自殺しようとするなんてただ事じゃない
ぞ。いったいどこまで話したんだ?もしかして、出産後は別の誰かが移
住してきて死ぬ可能性があるとか脅したんじゃないだろうな?」
「それはない」と中目が否定した。「今後も成功例を宿し産める可能性
を秘めた存在だ。おそらくはこのまま温存されるだろう」
 それを聞いておれは少しだけほっとした。
「ほっとするのはまだ早いわ」と二緒さんが言った。
「どうしてです?」
「そこのおしゃべりさんは、LV3がなぜ起こったのか、自分がどこから来
たのかだけじゃなく、中目さんや白木君のことも、そして白木君の子供た
ちのことまで伝えてしまったらしいの」
 二緒さんは困ったような、けど少し意地悪な目つきでおれを見ていた。
「余計な情報まで与えてしまったことで母体がひどく動揺してしまった
ようだ。後悔している」と望が言った。
「そりゃ確かにいつかはバレることだとは思ってたけどもさ」
 みゆきを突っぱねておいて良子さんその他を抱いて妊娠させたことは、
レイナは例外としても、許してもらえそうになかった。
「それで、死のうとしたのか?」
「白木君、みゆきさんが受けたELの設定内容はね、どんなことがあって
もこれから産まれてくる我が子を愛し、慈しんで、守り抜くというもの
だったの」
 レイナの予想は当たっていた。
「でも、それがどうして自殺の動機に?」
「その子供を宿らせたことが原因で、白木君はみゆきさんを拒んだ。自
分を拒んだ白木君は他の何人もの女性を抱いて孕ませた。この子供さえ
いなければ、って思うわよね、普通。
 でも、どんなことがあろうと子供を愛するよう感情制御を受けたみゆ
きさんは、憎悪の象徴でもあるその子供を憎むことができないの。オロ
すことも、産んでから殺すこともできない。
 自分を殺すというのは、ほとんど唯一残されてた逃げ道ね。でも、そ
れも子供に宿ってた得体の知れない存在によって防がれてしまった」
「ELは緩やかなブレーキをかける装置じゃない。時速200kmで走ってる車
の前に壁を置くようなものだって言ってましたよね」
「そうね。そしてみゆきさんの心はその壁に正面衝突してめり込んだま
ま抜け出せなくなってしまった状態」
「このまま発狂してしまうんですか?」
「母体を眠らせ続けても、無事出産を迎えることは可能みたい。でも、
それが本当に望ましいことかしら?」
「おれに説得しろって言ってます?」
「失敗した時は、眠りについてもらうという選択肢があるけど?」
「でもどう言い訳したってしなくたって、ぼくがみゆきをあの時拒んだ
事実は変えられないですよ」
「記憶の消去や改竄もある程度は可能だし、人工子宮への移殖も彼らの
手であれば可能。それでも私なら思うわ。あなたと話したいって」
「どうして?」
「あなたのことが、まだ好きだから。信じたいから。だからその人から
説明して欲しいと思うのは自然じゃなくて?」
「だめ押しになりませんかね?」
「あなた次第だけど、私はいけると思うな」
「なぜかは聞くだけ野暮ですか?」
 二緒さんはおれに抱きついてきて言った。
「私も汚された身だけど、あなたはそんなことを気にせず私を抱いてく
れたもの。私もあなたを好きだから、信じたいの。みゆきさんのことも、
そこに宿った命もあなたなら助けられるんじゃないかって」
「買いかぶりすぎですよ」
「あなたの評価はさておき、私もできればこの母胎から産まれたいです
ね。何がどう影響して、悲劇を招くかわかりませんから」と望が言った。
「お前はどう思う?」とおれは中目に聞いた。
「私も、あなたなら出来ると思う、白木隆」
「わーったよ。んじゃみんな部屋の外に出るなり口をつぐむなりしてて
くれ。それから拘束は外しておいてくれ」
「いいのか?」
「何かあっても、お前やお仲間なら一瞬で何とか出来るんだろ。なら、
とりあえず拘束はいらないよ」
「わかった」
 みゆきをベッドにしばりつけていた拘束ベルトが次々に弾けて姿を消
した。
 二緒さんと中目が隣の部屋へと姿を消し、いくらかの間が空いてから、
みゆきが目を覚ました。
 がばっと身を起こし、周囲を見渡し、おれの姿を見つけて身構えた。
顔が警戒と喜びとで複雑に歪む。
「よお」と声をかけてみた。「ひさしぶりだな」
「た、たかし君。ここに、何しに来たの?どうやって来たの?」
「お前が、いやお前に会いたくなったから来ただけだよ」
 ちょっとだけ頬を赤くしたみゆきは、だが自分の腹の膨らみを思い出
したかのように手をそこに当てて言った。
「うそ、うそだよ!あたしは、あたしは、隆君に拒まれたのに!他のヒ
ト達は拒まれなかったのに、あたしだけ!それはあたしが、あたしが・・・!」
「落ち着けって言っても無理だろうから、聞こえてたら聞いてくれよ。
確かにおれはあの時お前を抱かなかったけど、それはお前が汚されてた
とかからそういうんじゃない」
「じゃあ、じゃあどうして?」
「言ったろ、おれは決めつけられるのが嫌いなんだって。あの時お前は、
具合悪く、そんなおれの逆さになった鱗に触っちまった。そんだけだよ」
「他の女の人達は、それが無かったから抱いたって言うの?」
「言い訳するのもみっともないというか心苦しいというかかっこ悪いん
だが。なんかもうその時の心境ごとお前の頭の中に転送してやりたい気
分だよ」
「可能だがどうする?」と望が直接頭の中で聞いてきた。みゆきには伝
わっていないらしい。
 保留しといてくれと頭の中でつぶやいてからおれは言った。
「良子さん、まぁ天皇陛下のお相手になった人なんだけど、そん時は気
圧されたんだろうな。そんな風な流れに呑まれたような雰囲気もあってさ・・・」
 おれはつたないながらも、とつとつと、みゆきに語っていった。二緒
さんとのことも、ミノリーとのことも、レイナとのことも、そして中目
やLV3のことも。
 みゆきは半信半疑の眼差しで、でも中目の存在を前から知ってるせい
もあってか、落ち着いて話を聞いてくれた。
 望を出産した後も、みゆきがLV3で死ぬことはたぶん無いことを話した
辺りで、ようやっとみゆきは口を開いた。
「レイナさんに怒られたでしょ?」
「そりゃそうだ。こってりとな」
「あたしは過去にたかし君をフった女だしね。その後付き合ってたワケ
でも無いんだから、あたしが文句付けるのは筋違いだってのはわかる。
でもね、一つだけ言わせて」
「なんだよ?」
 出産した後の約束でもさせられるのかとおれは身構えた。
「そこまでわかってて、どうして平気でいられるの?」
「平気って、何に対してだよ?」
「LV3で、大半の人が死んじゃうことに対してだよ」
「だって、それは仕様がないじゃないか。「彼ら」だって生き延びたい
んだし、他に逃げ先はなかったらしいし」
「うそだね」
「何でそんなこと言い切れるんだよ?」
「だって、有望な受精卵は複製しておけたんでしょう?実際そこに宿れ
たかも知れないのに、なんで彼らはそうしなかったの?どうして今既に
産まれてずっと生きてる命を奪うような選択肢を選んだの?
 高尚な目的とかやむを得ない事情とかがあったのかも知れない。でも
たぶん言えるのは、彼らが人類の命とか尊厳よりも、他の何かを優先し
たってことだよ」
「だから、彼らの命が優先されたってことなんだろ?」
「ううん、あたしはそうは思わない。そして世界の人類の大半を殺して
しまう誰かを許せるとも思えない」
「自分の子供に宿った誰かを含めて?」
「ELの制御の対象に入ってる自分の子供は別扱いしちゃうんだろうけど、
でも、むずかしいと思う」
「そういえば、さっき中目が、お前の子供に宿れた奴が、レイナ以降だ
と初の成功例だとか言ってたけど、おい、望。それは事実なのか?」
 頭の中に返答が響いた。
「事実だ」
「それじゃ、ビリオンズの間の受精卵は移住できない対象だったのか?
複製されたのを含めて」
 いくらかの間を空けてから返答が聞こえた。
「移住できた者も一部にはいたかも知れない。けれど複製された方には
出来なかったろう」
「どういうことだ?」
「複製された命、または命以前の存在を複製した場合、その存在の識別
子も当然ながら酷似したものになる。生物学的にクローンした存在が同
一種の危機に対して脆弱性を持つのと同じことを、我ら一族がするわけ
にはいかなかった」
「やろうと思えば出来たことだけど、回避したってわけか」
「そうだ。こちら側の都合だがな」
「人工子宮と母胎で育つのは何か違うのか?」
「全ての存在は根源と接続している。胎児は母胎を通じ、母親の存在を
通して根源とも接続しているものだ。その母親の存在をスキップして根
源と接続するのは、通常にはないアクシデントやリスクが発生する可能
性もある」
「でも先天性の病気とかは、人工子宮なら全部治療して回避できるぞ。
流産も無いし」
「先ほど言った存在の識別子の話の延長線上だ。人工子宮は母体と比べ
て、その識別子のバリエーションは非常に狭い。それが子供に及ぼす影
響というのも生じてくる」
「じゃあ、レイナがおれとの間の子供を自分で育てると言ってたのは・・・」
「人類が認識できていない部分を含めて理屈にカナった選択肢なのだろ
う。その命をヒト欠片でも損なわなかったというのを含めて」
 望と話していた内容は、そのままみゆきにも伝わっているようだった。
「人類の大半を殺してしまうことに対して抵抗は無いの?」
「生命が生きる為に他の生命を犠牲にするのも自然の摂理ではないか?
私達は罪の意識を感じないわけでもないが、必要な犠牲から目をそらす
こともしない。ただ必要なだけなのだから」
「それは開き直り?」
「そう捉えていただいてけっこう。ただ、我が母となる南みゆきよ。ヒ
トが生きるのに他の生命を犠牲としないともあなたに言って欲しくない
な」
「家畜とか植物とかのこと言ってるの?」
「人が飲み食いする為だけでなく、文明生活を維持する為に環境に対し
てかけている負荷を知らないわけでもないだろう。菜食主義だから生命
を犠牲にしていないという理屈は通らない」
「牛や豚や鶏や魚や卵や植物とかを人類と同列に見てるの?」
「君は同列に見ていないだろう?我々とて同じだ」
「だから犠牲にしてもいいって?」
「違うな。犠牲にせざるを得ないのだ。我々にそれ以外の選択肢は与え
られていない。それは人類が他の生命を犠牲にしなければ生きてこられ
なかったのと同類だろう」
「だからって人類を何十億と犠牲にしていいの?」
「数十億の人類が一日に犠牲にする生命の数を数えたことがあるのかね?」
 みゆきが口をつぐんだ。
「一人が一日1個しか犠牲にしないと仮定しても、一日で人類と同数、
一週間で7倍、一年では365倍だ。しかし我々はそれを非難するつもりは
毛頭無い。生命がそれ自身の維持の為に犠牲を必要とするのは当人のせ
いではない。そうプログラムした創物主なり世界なりに文句を言うべき
ものだ」
「あなた達自身でそのプログラムとやらを書き換えればいいじゃない?」
「それは我々の遠大な目標の一つだろう。しかし現在の我々では手が届
かない技術だ」
「そんなあっさり諦めないでよ」
「人類がワープエンジンを開発しようとするものだ。タイムマシンでも
いい。比喩としてはわかりやすいのではないか?」
「わかったわかった。とりあえず話を戻すぞ。望はしばらく黙っててく
れ」
「わかった」
「みゆき、お前は言ったな。どうしておれがそんな平気な顔をしてるの
かと?」
「うん。たぶん自分は生き残れると判ってるから、気にならないんだろ
うね」
「もし気になってなかったら、おれはもっと前にお前に話してたさ。お
前は死ぬけどおれは生き残る。残念でしたってな。文句言う奴は全部氷
漬けとか永遠の眠りとか。
 他のみんなに対しても同じだ。ただ何て言ってもお前が言ったのと同
じ答えが返ってきたろうし、おれはまだ諦めちゃいないからさ。だから
まだ絶望してないのさ」
「でも、もうLV3は始まったんでしょう?だったらもう手遅れなんじゃ
ないの?」
「そうかも知れない。そうじゃないかも知れない。まだおれにも中目に
もレイナにも、わかってないことはあるんだ。「彼ら」は神様でも悪魔
でも、単なる虐殺魔でも無いんだ。
 SF映画や漫画みたく世界が終わるわけでもない。人類の大半が滅びたっ
て、地球も宇宙もよろしくやってくみたいなんだよ。
 全員を救うのはたぶん無理なんだろうと感じてる。救えるのは全体の
100万分の1以下なのかも知れない。それでも誰も救えないよりはマシじゃ
ないか?
 おれは神様じゃない。ただの人間なんだ」

 みゆきはふと考え込んで、そして言った。
「そう、だよね。生き残ることが幸せだとも限らないもんね・・・」
「何か引っかかる言い方だな」
「引っかかるように言ってるんだもの、当然でしょ」
 みゆきはそう言って笑った。
「あたしの子供、どうして望って名付けたかわかる?」
「わからんよ」
「どんな絶望的な状況にあっても、どんなに希望が現状にそぐわってな
くても、望むことは出来る筈だから」
「それは、おれに言ってくれてるのか?」
「たまたまだよ。私の子供なんて、私が守ってあげなきゃ誰が守ってく
れるのって、そう思ったら思いついた名前なの。
 どんないきさつがあって産まれることになったのか、親から聞かされ
たら生きてるのイヤになっちゃうだろうなって、自分で想像できた。
 だから、ノゾムなの」
「悪くないよ。いい名前だと思う」
「ふふ。それじゃご褒美ちょうだい?」
「なんだよ。そんな身重な体で無茶なこと言うなよな?」
「ううん。ただキスして。それもダメ?」
 おれは深く考えないようにした。さっと立ち上がって、さっと唇を重
ねる。3つ数えてから唇を離した。
 みゆきは唇に指を当ててうつむいた。
「お前の願いも聞いてやったんだから、おれのも聞いてくれよな?」
「何?」
「今は、死のうとするなよな」
「おかいしの。どうして今だけ死んじゃだめなの?お腹の子供が特別だ
から?」
「いいや、そんなんじゃねぇ。ただ、これから生きたいと思ってても大
半が死んじまうなら、生き残れるって判ってる連中はなるべく生きよう
とするべきなんじゃないかなって、そう思っただけだ」
「・・・ごめんね」
「なんだよ?」
「たかし君だって、気にしてないわけないよね。死んじゃう人達のこと。
なのにそんな言い方して責めて」
「いや、お前の言ってたこと、他の人達からも言われてるさ」
 だけどレイナを殺す気にもなれないだけ。本当にそれが一番大きな理
由なんだろうと思ったが、みゆきには言えなかった。


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